インタビューを通じて見えてくるカレイチ
稲垣立男

今回のインタビューでは、サインボードに記載したもの以外にも昔の記憶や人々の思い出について興味深い話を多く聞かせてもらった。対話を通じて私の知らなかった近年のカレイチの様々な面が顔をのぞかせる。

観光の街カレイチ
顔立ちがアジア系である私の顔を見て、「コンニチワ」「アンニョンハセヨ」「ニーハオ」と土産物屋のかけ声が飛び交う。港を歩いていると観光船に乗らないかと何人もの客引きが声をかけてくる。これが現在のカレイチだ。インタビューでは多くの人々が「昔のカレイチはのんびりとしていてよかった」と言うのを聞いた。
「昔はね、電気なんてなかったんだ。夜になると、どこも真っ暗だったよ。うちではガスランプをともすんだけど、外に行く時は、カンディルという灯油のランプに灯をともして、夜道を歩いたものだ。子供時代といえば暗い中に、微かな光がゆらゆら動いていたのを、夢だったかのように思い出すねえ。」(ヤルチュン・ヤルンル)
「昔のカレイチはね、風の通る、涼しいところだったんだ。港は、夕方になると涼しくなる。その頃になるとどこのうちも、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、孫まで、南極のペンギンの家族のように一家でそろって、ゾロゾロと港まで降りてきたもんだ。」(サーフェット・ウイサル)

人口交換
人口交換とは、オスマン帝国崩壊後の1920年代に行われた、ギリシャなどの周辺国に住むトルコ人とトルコ国内に住む周辺国の人々をそっくりそのまま入れ替えてしまうという政策であり、社会的問題も多く発生したと思われる。今回のプロジェクトに協力してくれた人々の中にもこの人口交換で両親の代にトルコに渡って来た、という人が何人もいた。
「義父は、オスマン帝国が崩壊した時にギリシャとの人口交換でテサロニキから来た家族の息子でね、子供の頃からずいぶん苦労したらしいんだ。映画館で水やジュースを売ってお金を稼いでね。おつりがいるんでポケットに入れている小銭をじゃらじゃらさせるのが癖で、いつもお金を持ってる、っていうんで、小学校の時先生から「コント(伯爵)」ってあだ名を付けられたんだってさ。」(メフメット・ギョズブユック)

笑い話
「僕が5歳くらいの頃、道端で遊んでいたら、向こうから母がやってくる。手に、何か赤い包みを持ってるんだ。何だろうと思ってそばへ行くと、この包みをやぶって、中を食べて御覧なさい、という。食べてみると、世界とはこんなに素晴らしいものかという気がした。それがはじめてチョコレートを食べた時、1922年の話さ。また別の日に、頭に針金をつけた人がいて、近くに行くとその針金を外して僕の頭につけてくれた。そして、音楽が聞こえるか、というから、聞こえる、というと、これがラジオというものだといわれた。」(タールク・アクルトプ)
「私は、日本語を全く知らないのに日本人の案内をしなければならないはめに陥った、哀れなガイドなんです。お客は日本のある町の市長さんで、ペルゲの遺跡に行った時、地面に落ちている黒くて丸い光ったものを拾い上げて、これは何かと聞かれた。それはなんとヤギの糞だったのですが、トルコ語で「カッカ」だと答えると、「いや、閣下は俺だ」と身ぶりで示すので、おかしいやら、困ったやら。」(ヒュセイン・チムリン)
※どこの市長だというのも話してくれたのだが、ここではあえて伏せておこう。

若い頃のいたずら
「タバコを吸いはじめた頃、といっても14、5歳の頃なんだけど、もちろんタバコを吸うなんてうちじゃあ絶対禁止だし、近所の人に見られたら、親に言われてしまう。ってんで、カラアリオウル公園に仲間と集まった。断崖絶壁に枝の張り出した木が一本あってね、ここなら誰にも見られない。その枝に6、7人で登って、そこでタバコを吸ったものだよ。」(イェクタ・サラチオウル)
「俺は、漁師の中じゃ王様だったね。俺ほど獲れるやつは誰もいなかったさ。秘密の場所があってね。ある時、漁師じゃないやつがやってきて、お前の場所でいっしょに獲らしてくれろというんで、ちょいとした仕掛けをしてやった。白い袋を水にしずめたのさ。魚ってのは、白い色が嫌いなんだ。みんな逃げちまう。そうしておいて、はいどうぞ、とやったけどさっぱり獲れない。奴さん、不思議がっていたけど、そう簡単に縄張りを明け渡すもんか。」(ジェマル・イェシルタシュ)

家族の思い出
「まだ学校にも行かないような年の頃、私の父はカレイチの港にある小麦粉製造工場で働いていたのよ。麦を洗浄する機械の担当でね。ある晩、5階建てのその工場が火事だ、と叫ぶ人がいて、父はステテコをはいた寝姿のまま走っていったわ。私達子供も追いかけていった。工場は大きな炎をあげて燃えていて、それを見て父が泣いていた。私には、工場が燃えたことよりも父が泣いたことの方がショックで、忘れられない思い出なの。」(メスーデ・オルム)
お話を伺いにいくと、必ずと言ってよいほどふるまわれる、小さなガラス製のカップに注がれたチャイを飲みながら聞かせてもらったお話の数々は、私がトルコ滞在中に得た大切な宝物であった。

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